投機家、相場師でグレートベアの異名を持つジェシー・リバモアの言葉

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234 :Trader@Live!:2009/08/16(日) 13:08:08 ID:+Nm0BPI5
 
株式投資、投機に新しいものは何もない。

過去に起こったことはこれから幾度となく繰り返されるだろう

この繰り返しも、人間の本性が変わらないからだ

人間の知性の邪魔をするのは常に人間の情報であり情動である

Jesse Lauriston Livermore

ジェシー・リバモアとは?

ジェシー・リバモア(Jesse Lauriston Livermore、1877年7月26日 – 1940年11月28日)はアメリカの著名な投機家、相場師である。グレートベアの異名を持つ(相場では一般に買い方に回る強気筋を「ブル」、売り方に回る弱気筋を「ベア」と呼ぶ。リバモアは売りで非凡な才能を見せたためこの異名がついた)。

カクテルのオールド・ファッションドを非常に好んでいたエピソードが知られる。バーテンダーは彼が座ると注文を待たずに作ったという。

15歳より合百(バケットショップ bucket shop:市場外で賭博のような株取引を行うところ。当時、アーノルド・ロススタインを筆頭とするギャング達が仕切っていた)で取引を始め、1000ドルの資金を作った時から彼の投機家としてのキャリアが始まった。1897年、 ニューヨーク・ウォール街にて取引を開始するも6ヶ月足らずで破産する(1度目の破産)。これは彼自身が後に語ったところによると、注文が即刻執行される合百の取引スタイルと注文の執行にタイムラグがあるニューヨーク証券取引所の取引スタイルの差異に起因するものであった。

1900年10月、ネティ・ジョーダンと1度目の結婚。

1901年、強気の相場に乗り5万ドルの資産を作る。その後、この5万ドルを空売りに投じる。株価が下落するという彼の読みは正しかったものの注文の執行タイミングが遅れたため、直後の株価の反騰の波に飲まれ同年5月に2度目の破産。妻・ネティのために購入した高額の宝石類を質入して投機につぎ込むという頼みを断られたことをきっかけに、夫婦仲は悪化し別居が始まった。

1907年、2度の破産から立ち直り100万ドルの資産を保有するようになる。

1907年10月24日、NY市場が金融崩壊の危機に陥ったときJ・P・モルガンより市場救済の要請を受ける。J・P・モルガンは「トラストのトラスト」と呼ばれており十数社の鉄道を買収し再編、GE、USスチール、AT&Tなどを設立し当時のアメリカで絶大な権力を誇っていた。このときジェシーは大量の売りポジションを持っており、もし彼が売り続ければNY市場は本当に崩壊しかねない状態であった。

これを受け翌10月25日の朝、ジェシーは猛然と買い戻しに入り主要なあらゆる株をも買い捲る行動に出た。これをきっかけに市場の流れは変わり、暴騰相場が始まった(しかし一方でジェシーは、買った株を同日密かに売り抜けていた)。銀行家達は、ジェシーの愛国的な行為に感謝した(彼は愛国心から買いに回った訳ではなく、銀行団が資金提供に合意したとの情報を得て買いへの転向を決めたという説もある)。

その後ジェシーは、「コットン・キング」の異名を持つパーシー・トーマスの勧めでコットン市場にも手を出すようになる。しかし1908年、コットン相場の大暴落で綿花の買占めに失敗。莫大な負債を抱えることになる。

負債を抱えながら投機を続けることに限界を感じたジェシーは債権者一人ひとりに「再起したら必ず負債は返す」と約束してまわった上で1915年2月18日、破産を申請、受理される(3度目の破産)。

破産が確定して精神的に開放されたリバモアは再び市場で勝ち始め、1917年に債権者達に負債を完済する。

同年、ショー・ガールだったドロシー・ウェントと出会い2度目の結婚。2児をもうける。

1929年9月4日、暗黒の木曜日に向けた空売りを行ない1億ドル以上の利益をあげる。

1932年9月16日、ドロシーと離婚。離婚後しばらくしてハリエット・メッツ・ノーブルと出会い、1933年3月28日に結婚。

1934年3月5日、4度目の破産。

1940年3月、『How to Trade in Stocks』を著す。

同年11月28日、ホテルの一室で「自分の人生は失敗だった」と書かれた遺書を妻に残しピストル自殺を遂げた。

投機手法など

彼の著作によると、投機の手法はもっぱら「順張り」であった。仕掛けて後に利が乗ってゆくにつれて建て玉を増やしてゆくという手法であり、「ナンピンは決して行ってはいけない」という行動指針に従っていたようだ。

株の銘柄に関しては、主力株のみ扱っていたことで知られる。人生の後半にかけては株価操縦にも携わっていた(現在と比すると当時は、株価操縦の違法性が低かった)。


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